宮古の風便り

ある宮古島移住者の視点から
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
学生たちのエネルギー
学生たちのエネルギー


二次会である。 にぎやかなのである。

「のむら」での一次会を終え、西里通りを端から端まで歩き、イーザトの入り口。
中西先生ご用達暦20年の「ロ〇エ」である。

貸し切り状態である。 次から次に若者たちの歌がつづく。
 

20日に与論島に入り、21、22と調査をし、23日に宮古に入りその当夜の雄姿なのだ。

若いのである。 疲れをしらないのである。

女の子たちは、多くはホットパンツなのである。

いやはや、若いのである。



ぼくらは途中で退座の許しを中西先生につたえ、深夜の街に消えた。


かれらは、24,25の両日マングローブと地下水の湧水地点のCO2の測定の準備を終え、帰路についた。


これから一年、地下水の湧水地点のCO2の測定のデータを測り、中西研に送るのである。

かれらの卒論のデータ収集のお手伝いにこれから一年間関わることになるが、これもまた楽しいのである。


ちなみに中央右側で、両腕を組み泡盛を飲んでいるのは、新しく中西先生のあとを継いだ菊野準教授。
若いのである。 まじめなのである。















| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(1) | - |
百日ぶりの里帰り
中西先生の挨拶 大


敬愛する中西先生が、学生9名を連れて里帰り。 ほぼ100日ぶりである。

20日に与論島に入り、地下ダム関係の現状を学生たちと視察した後の、宮古入りである。

今回は、学生の農業実習の受け入れ農家さんたちから、先生と別れるのに酒を飲み交わしていなかった、との熱望により、受け入れ農家さんたち多数も参加。

100日ぶりの中西先生は、やはり中西先生であった。
100日ぶりの中西節を聴く。

ほかに、親しい友人たちも招待され、そのなかにぼくたちもいた。




そういえば3月の宮古島市長主催の壮行会の後、元広域事務組合の連中が先生が宮古を去る数日前に
俺たちだけで先生の壮行会を、と急きょ元広域事務組合バージョンの壮行会が開かれた。

またある日、先生の離島を知った元上水道企業団の重責だった方から、先生と壮行のオトーリを回せなかったので、
次回来島のおりはその旨伝えてほしい、との伝言をあずかってもいる。



いかに、宮古島で愛された方であるかが、再度認識できた次第である。
















| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(1) | - |
イモの葉、ざわわ・ざわわ
イモ畑現状


一面に広がるのは、「ちゅら恋紅」という名の紅イモの波打つ葉群。
4月24日に苗を植えて約2カ月、いまでは畑の裸地は見えない。

幅約50m、奥行きは約70mの畑地一面(約3.5反)
が匍匐する蔓に覆われている。


じつはこれからが大変。雑草を一本一本手抜きしていくのである。 
はるか彼方にいるのは、前回『ビギナー3人』で紹介した卓也くん。

かがみこんで、黙々と、とにかく雑草を抜いていくのである。


炎天下、ほぼ1時間ごとに休憩をとり、冷水を喉に流し込む。
作業は過酷で腰が痛くなり、太ももが張ってくるが、慣れるとこの単純作業が意外に楽しいのだ。

楽しいなどと言うと、ほかの若者たちに叱られそうだが、(かく言うぼくも、彼らといっしょに作業しているのだが)、
精神的なデトックス作用があるようで、だんだんと気持ちが晴れやかになっていく感じがするのだ。



南の島の燦々と炒るような陽光のもと、土に触れ、汗で全身が水をかぶったようになりながら、

なにか深いところの浄化がなされているように思うのだ、が・・・。










| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
ビギナー 3人
ビギナー3人


3人の若者が、ゴルフの打ちっ放しの練習をしている。

じつは、彼ら3人ゴルフクラブをにぎるのがはじめてのビギナーなのである。



右から、力(ちから)、卓也、和成の、わが社営農部の若きパイオニアたちである。

初めてのわりに、きれいなフォームでまっすぐにジャストミートを決める卓也と和成、
びっくりするフォームで、びっくりする方向にダブったり空振りの力(ちから)。

ただひとりのギャラリーのぼくは、うしろで力(ちから)の独特の飛ばしよう・空振りに爆笑の連続。



3人は、やがて開催される社内懇親ゴルフコンペにむけて、特訓中なのだ。

力(ちから)いわく、空振りは一回千円なんですよねぇー。 

そういう彼はとっくに三万円以上を払わなくてはならないのだが・・・。

 
仕事の合間の休み時間に、気持ちのほっこりする光景をみせてもたった。



うしろで眺めるぼくは、親父のようなやさしさを彼らにむけていることに気付いた。

かれら3人、ゴルフコンペできっと
人気者になるだろう。 がんばれ、若きパイオニアたち!




付記: この3人のほかに、パイオニアがもう一人いる。 関西出身で話好きの泊さん。

      彼は、オーストラリア長期滞在中に、ラウンドを重ねたツワモノ。 

         以外にダークホースかもしれない。 いやはや、楽しみである。













| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
スイカ畑の台風対策
スイカ畑の台風対策


畑一面、白い布が帯状に並んでいる。

実は、スイカを防風ネットで覆っているのである。


宮古島での見慣れた台風対策なのだが、一般的な農家さんはここまでするには人手が足らないのが現状だ。

これは、ぼくの勤める会社の営農部のスイカ畑の台風対策なのだ。


こんなに大切に育てられたスイカは、どこの畑のそれよりも甘い ― そうあって欲しいものだ。

台風の影響がさほどではなかったが、これからは南の島の「風物詩」的なこうした風景がいろんな処で見られる。



ナイチャーの移住者らしき初老のご夫婦が、犬の散歩がてら前の道路を通られ、「台風対策ですか?」と言葉を投げてこられた。

おそらく移住されてそれほどの時を過ごされていないのだろう。

しばし、立ち止まりめずらしいものでも見るように、眺めておられた。


めずらしかったものが、やがてみなれた風景に変わり、ひとはその土地の住人になっていくのだろうか。













| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
松谷くんのオヒルギ 
オヒルギ 株分け前        オヒルギ 株分け後 



東京農業大学宮古亜熱帯農場の実験室の裏に、松谷くんが育てていたオヒルギの鉢があった。                          

この3月に彼が本校に帰る際、ぼくがあずかって育ててきたのだ。



生育が旺盛で、鉢いっぱいに育ったので、株分けをした。

株分けをしたら、鉢が4鉢になった。


マングローブは、松谷くんのドクター論文の研究テーマ。

根が落ち着いたら、この中から数鉢世田谷の彼の研究室に送ってあげよう。



やがて、いつの日か、彼の郷里の仙台で、南の島のオヒルギが育つこと(もちろん屋内で)を願って。
















| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(1) | - |
ピタンガの発芽
ピタンガの果実ピタンガの発芽



マクロ撮影モードで撮ったこの写真(上の右側の大きい方)は、直径約12cm程の器のなかで発芽したピタンガの初々しい新芽である。

あたらす市場で実を手に入れ、実を食し種を播いたのが、5月4日。
キッチンペーパーを敷き適度な水分を与えて、1ト月と10日。
ニョキニョキ
と細身の茎を伸ばし、双葉がで、やがてその上にさらに二葉を付け出した。
そして、先日10.5cmのビニールポットに移植した。 

ピタンガは、生長がとても旺盛で、過酷な条件下でも繁殖するワイルドな植物である。
ピタンガは、南アメリカ熱帯地方原産のフトモモ科の常緑低木で、ブラジル先住民の言葉で「赤い果実」を意味する、と本にある。
上の小さな写真が、ピタンガの着果状態(ウィキペディアより)。


さてさて、この幼子たちが少し酸味のある甘い「
赤い果実」を付けてくれるのは、いつ頃だろうか。












| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
ちょんまげ岩
ちょんまげ岩近景



下地与那覇のゴルフ場に接する海岸に、写真のようなユニークな岩がある。


ゴルフ場に隣接していることもあって、あまり知られていないようだ。

岩は、ノッチ状に基部が細くなっていて、その頭部には御覧のようにソテツが一本屹立している。
その周りには、頭髪のような草丈の低い風衝植物群がはえている。


その屹立するソテツは、あたかも殿様のちょんまげのよう。
たび重なる台風の襲来にも耐え、強い意志をもって「海を見」ているのだろうか。

しばらく見入ってから、こころの中で手を合わせた。









| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
骨折してしまいました
骨折の診断書


自分の不注意から、胸椎を骨折してしまった。

東京農大の実験室、テーブルの上に設置されたイオンクロマトの機械の背面のケーブル類を、テーブルの上に置いた折りたたみ椅子に座って外していた時だ。
ついうっかり、下の方のケーブル類にマーキングのテープを貼ろうとして、作業しやすいように椅子をうっかり後ろにずらしたときに、それは起こってしまった。

テーブルの端から椅子が外れ落下。その上にぼくも仰向けに落下。
先に落ちた折りたたみ椅子の横のバーに、ぼくの背骨が思いっきり激突。

しばらくは、痛くて立ち上がれず。


あまりにも痛みが尋常でないので、徳洲会病院に自分で車を運転して行った。
CTを見て、先生曰く、竹井さん、背骨の骨折れてるよ、即入院ね。

それから、数日間コルセットを2つもしてベッドにくくられていた。
その後、自宅療養し今週から職場に復帰している。

いやはや、自分の不注意で多くの方々に御迷惑をかけてしまった。



しかし、何よりの収穫があった。
それは、すこし立ち止まって、考える大切さを教えてもらったことだ。


ハードに自分を追い込んでいた生活から、「
海を見」ことを教えてもらったのである。








| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(1) | - |
『時に 海を見よ』  その2
前浜遠望


注記:このブログに立教新座(にいざ)高校の渡辺 憲司校長のメッセージを掲載するにあたり、渡辺校長にはメールでお知らせしております。


立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

2011.03.24

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(33110時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

 

立教新座中学・高等学校

 〒352-8523 埼玉県新座市北野

 

校長 渡辺憲司


 












| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(1) | - |
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2012 >>
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ PROFILE