2012.08.06 Monday
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宮古の風便りある宮古島移住者の視点から
2007.06.30 Saturday
天界(そら)の2分
鏡のような紺碧の海。 リーフのはしの白い波頭もきょうはない。 不思議なうつくしさだ。 静かさのなかに巨大なエネルギーを内在しているような、うつくしさ。 静寂の紺碧な大洋である。 ふたつのブルーが天界を2分している。 水平に明確に2分している。 いにしえのこと、土佐の大洋を眼前にした洞窟のなかで求道僧が洞窟の闇の世界から、空と海に2分している世界をみつつ瞑想していたという。 そのときだ、口のなかに太陽のエネルギーが轟然と流れ込み、悟りをひらいたという。 空海である。 ぼくは大洋とそのうえの雲ひとつない淡い天界をみあげているが、悟りなんぞいっこうに開けない俗界びと。 しかし、あまりにも静かなエネルギーを内在しているこの眼前の光景は、あいまいな心性を両断してくれそうな、厳しさをももっていそう。 ふしぎな静寂が目のまえにひろがっていた。 2007.06.29 Friday
みなみの島の牧草地
先日、緑肥として植えられているクロタラリアについて書いた。 クロタラリア以外にも、畑一面緑肥のような草ぐさが植えられていることがある。 家畜、ことに牛の飼料にするための草ぐさである。 その畑は大きなトラクターによって刈り取られ、円柱形のロールに形作られ外側をブルーのビニールでカバーされる。 ごらんのような具合である。 のどかなみなみの島の畑のなかに、突如出現したシュールな作品である。 天上にある灼熱のコロナは容赦なく地上の事物を焼いている。 農村のシュールな“真夏の昼の夢”が眼前に点在している。 日常の農風景のなかにあって、そこは確かに異空間である。 2007.06.28 Thursday
実験室のなかにて
これがぼくの勤務している東京農大宮古農場の実験室。 まんなかに鎮座しているのは、いちばんの働き者イオン・クロマトの計測器である。 中央にのっぽのボックスが2つ、その左右に低めのボックスが一つずつで、ワンセット。 この計測器は、さきのノーベル賞をもらった田中さんの勤めている「島津」という化学精密分析器等をつくっている会社製。 このボックスくんは、じつにあたまがいい分析器で、水の陽イオン、陰イオンを分析してくれている。 湧水や地下水の化学的な分析をやってくれているのだ。 毎月定期的に分析しているのは、宮古島・石垣島および喜界島(鹿児島県)の地下水・湧水。 それぞれ25〜40箇所のサンプル水を測定している。 がんばりやのボックスくんである。 うえの左の写真は、このイオンクロマトに入れるセルに各サンプル水を注射器のような器具で注入しているところ。 なかなか数があるし、順番を間違わないように・・・気をつかうところ。 そして右の写真の出力器で分析結果がプリントされて出てくる。 数量がある場合は、退社時にタイマーでセットしておくと、夜を徹して働いてくれ、翌朝結果を読み取ることができるのだ。 地下水の水質検査で、このイオンクロマトの器械がことにがんばってくれているのだ。 ほんとうにごくろうさま。 2007.06.27 Wednesday
クロタラリヤのこと
わが家の前にキビ畑がある。 いまは夏植えまでのあいだ緑肥としてクロタラリア(Crotalaria)が植えられていて、 それが草丈1メートル以上に育ち、風になびいている。 すがしい風景である。 沖縄で 「クロタラリア」 と呼ばれているのはクロタラリア・ジュンシア(Crotalaria juncea)という種類。 直立性の一年生のマメ科植物で、クロタラリアに適した土壌では開花時に2mくらいまで成長する。 英名はSunnhemp、台湾では太陽麻と呼ばれているように、原産地といわれるインドでは古くから繊維作物として栽培されてきた。 沖縄で緑肥として使われている品種も繊維が丈夫で、ロータリーで鋤込むと茎が絡んでしまうほど。 その他、台風時の落葉折損や酸性土壌での生育不良等欠点もあるが、発芽性・初期生育がよく、収量も多いことが沖縄で広く栽培されている理由だ。 沖縄の土壌は砕土性が悪く、播種後に雨が十分でない場合には発芽不良になってしまう緑肥もある。 また、亜熱帯性気候で雑草が繁茂しやすいため、初期生育が遅い緑肥は雑草に負けてしまう。 その点、クロタラリアは播種後速やかに発芽し、約1ヶ月後には50cm以上に生育して雑草の生育を抑制する。 その後の生育も速く、2〜3ヶ月で10aあたり2〜3tの生草収量が得られる。 キビが植えられるまで、畑一面の草ぐさのうえを、海からの風が気持ちよさそうに遊んで流れていく。 なかなかの景である。 2007.06.26 Tuesday
異国からの突然の来訪者たち
突然の来訪者の一団がバスでやってきた。 若い男女6名の異国からの来訪者プラス通訳の女性とコーディネーターの女性。 ジャイカ関係のマングローブの研修者たちである。 中西準教授のレクチャーを彼らに混じって聴いた。 刺激的な内容でとても勉強になった。 マングローブの生態系の豊かさを、化学的視点で考えてみたい、まず中西準教授はそう切り出した。 それからパワーポイントを使ってのレクチャー。 メモした内容を、すこし書いてみる。 ● For the growth of phytoplankton in the sea, they mainly need nitrogen(N), phosphorus(P) and iron(F) which are supplied from the land. ● Fe must be soluble forms to be absorbed by phytoplankton. ● Soluble Fe is supplied to sea mainly from forest. ◎ When you distroy forest, the sea will die. マングローブの豊かな生態系は、その背後地の高地から流下する地下水による。 ということらしい。 そこで思い出したのが、川満のマングローブ。 海に向かってウッドデッキの左側は豊かなマングローブ林を形成しているが、右側は何度か苗木を植えられたが枯死している。 あれは、まさに流れ込む地下水がデッキの左側にはあるが、右側にはない、ということなのか。 中西準教授に尋ねると、そうだとのこと。 目からウロコである。 同じ一体のエリアでもその地下環境、ことに地下水が流れているかどうかがマングローブの生育に大変重要なかかわりがある、という。 うなってしまった。 そして、夕方彼らとの懇親会に加わった。 市役所の森田さん、ケニヤ帰りの後藤さんたちも参加。 賑やかに懇親会がすすんでいく。 そして恒例のオトーリのはじまり。 異国からの来訪者もオトーリの親になる。 アラビヤ半島の先っちょのオマーンからきた青年。 イスラム教徒なので酒は飲まない。 ウーロン茶でオトーリ。 日本のみなみの小さな島での始めてのオトーリによる歓迎は、かれらの記憶に残ったことだろう。 あすは、石垣島、西表島へ移動するとのこと。 かれらのホテルまでお送りしてお別れ。 Have a nice dream! 2007.06.25 Monday
あおいあおい空のした
梅雨があがり、連日晴れの日がつづいている。 あおいあおい空が高い。 入道雲が湧き上がっている。 だいすきなみなみの島の空である。 しかし、島の天気は変わりやすい。 真っ青な空がいちめん雨雲にかわりものすごいスコール。 そして、また真っ青な空にもどる。 真っ青な空は、変わることなくそこにあるのだ。 そのしたを雨雲が動いて行くだけ。 普遍の天上と、そのしたの変化のおおい世界。 なにか象徴的な感じがする。 泣いたり、笑ったり。 嘆いたり、うつむいたり。 でもそのうえの世界ではいつも変わらないあおいあおい空があるのだ。 たかいふかい真っ青な空に、泣き顔をあげてみよう。 2007.06.24 Sunday
慰霊祭のこと
6月23日は、「沖縄慰霊の日」。 各地で慰霊祭がしめやかに行なわれた。 (財)日本学術協力財団の『沖縄戦関係資料閲覧室』のホームページには、「沖縄慰霊の日」について、つぎのようにまとめてある。 沖縄本島・首里にあった第32軍司令部は、物量豊富な米軍の激しい攻撃により南部への撤退を余儀なくされ、 首里を放棄して本島最南端にある摩文仁丘の壕へ移動した。 それまで戦場とは思えないほど静かだった摩文仁付近は、米軍の攻撃を陸から、海から、空から受け、 一帯は焦土と化し、多くの住民が犠牲となった。 米軍の攻撃は激しさを増し、司令部や各部隊はそれぞれ孤立状態となって組織的抵抗は不可能な状態となり、 第32軍司令官・牛島満中将と同参謀長・長勇中将は司令部壕において自決した。昭和20年6月23日の未明とされている。 沖縄県(当時琉球政府)はこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目ととらえ、昭和40年に「慰霊の日」と定めた。 現在では、摩文仁にある平和祈念公園において「沖縄全戦没者追悼式」が行われるとともに、県内各地で慰霊祭が行われている。 6月23日に日本軍の組織的戦闘は終結しましたが、沖縄ではそれ以降も局地的な戦闘は続き、 南西諸島守備軍が嘉手納の米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのは9月7日のことである。 言うまでもないことだが、戦争という極限の生命場は、尋常ならざる世界である。 その「尋常ならざる世界」でおこったことがらを、平和な戦さのない世界から断ずるのは偏狭さがある。 また、視点を変えれば平和ないくさのない世界だからこそ、見えてくるものもある。 かく言うぼくも戦争を知らない世代である。 平和な戦さのない世界で、戦さの悲惨さ・非人間的狂気を語り継いでおられるひとびとがいる。 戦争の語り部のひとたちである。 高齢の身を挺して戦争の悲惨さを語られている。 その心中を察するにあまりある。 かれらのおおくは、集団自決に日本軍が関与していたことを、語られている。 沖縄のひとびとを最後まで救うどころか、最高の責任者は自決というかたちで責任逃避したのだ。 それにくらべれば、残されたひとびとのこころの辛酸さは、いかほどであったろうか。 その残されたひとびと、いまではオジィやオバァになった寡黙なひとびと。 かれらにこそ、あたまがさがる。 かっこいいひとびとだとこころから敬服している。 沖縄はほっとできる“暖かい”島々である。 その“暖かさ”は、語ることもしない大いなる辛さをベースにもっているのだ。 戦さで亡くなられたひとびと(アメリカ軍のひとびとも含め)に、こころから哀悼の意を表するとともに、戦さのない世界づくりに微力ながら関わりたい、と念じている。 写真は、宮古毎日新聞、八重山毎日新聞のWEB記事を使わせてもらった。 写真のうえにカーソルを動かすと、その写真の説明が出るようにしている。 2007.06.23 Saturday
アルテミスの乳房
パパイヤを宮古方言で「マンジュー」という。 おっぱいのことである。 パパイヤは、幹にいっぱいのおっぱいを着ける。 青天のしたでたわわに実を着けている。 パパイヤは、しまの「あたらす市場」で100から150円(1個)で売っている。 しま料理には欠かせない貴重な野菜でもある。 パパイヤの実のなりようを見てて思い出したのが、アルテミスの女神像である。 アルテミスはギリシアの女神である。 アポロンと双子で、清純な女狩人として知られ、また、ティタンやセレネに代わる月の女神である。 うえの写真は、エフェス考古学博物館(トルコ)のアルテミス像。 マンジューをいっぱい着けている。 豊穣な女神は、また月の女神。 月の動きは農の規範である。 両者の関連がじつにおもしろい。 豊穣の女神アルテミスは、みなみの島でおおく目にする。 濃厚なアニマが大地をおおっている。 2007.06.22 Friday
ガハクからのメール
携帯電話が鳴った。 出るとはしゃいでいる童女の声。 ガハクからだ。 岡山での展示会が終って、その会場の写真を送るとのこと。 メールのアドレスを催促する声は弾んでいた。 ガハクから電話を頂いたのは、ちょうど外出していた時。 それで帰るなりパソコンにむかった。 そのとき届けていただいた写真のうち数枚を載せてみた。 写真を見るなり、いいなぁーと吐息がでる。 表現者の視点がじゅうぶんに伝わってくる。 わらべのような感受性、みずみずしい感性にただただ脱帽である。 と同時に、宮古島でのガハクの展示会のことが脳裏を駆けた。 こりゃー、たいへんだぞ。 でも、ガハクのお手伝いができることはじつに光栄である。 やるきゃない、そうおもう。 なによりも、あの巨体の童女に会えることを、いまから心待ちにしている自分がいる。 ちと、恥ずかしい。 |
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