2012.08.06 Monday
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宮古の風便りある宮古島移住者の視点から
2007.03.31 Saturday
来間(くりま)ガーのこと
来間島のデイゴ並木を進んでいくと、ひろい駐車場に至る。 そのわきにうえの石碑があり、来間ガーの来訪者の駐車場だと気付いた。 周辺は、きれいに整備されている。 芝生が敷きつめられた広場がゆるやかな傾斜をつくっていて、感じがいい。 この巨石を進んで行くと、整備された「来間ガー」がある。 写真に写っている白い案内板には、つぎのような表記があった。 史跡(町指定) 来間川(泉) 来間集落北側の断崖絶壁の百段よりなる道を下ると幾十尺の絶壁下から、こんこんと湧き出る島唯一の泉こそ 来間住民の生活に密着する命の綱である。 何時の頃からか、泉の中に樫の木がある。 かつて、それを取り除いたら水が出なくなって大騒ぎをしたという。 早速ユタに頼んで神に御伺いを立ててもらったら、神木樫の木を取り除いたためだとの神託であった。 早速神意に従い、元通りに樫の木を入れたら、不思議や再び水が、こんこんと流れ出て今日に至っているといわれている。 かくして来間川は、来間の社会生活の、動かすべからざる重点をなしている。 昭和五十年に宮古本島より海底送水が行なわれ、今日では、この泉の水を使用することはないけれど、何百年か島の暮しに欠くことが出来なかった。 水運搬の不便さの節水等、昔をしのぶ遺跡として後世まで保在することが望ましい。 昭和五十一年十一月一日 指定 下地町文化財 素朴な朴訥とした表現である。 文中に誤字があったりするが、この素朴な文面は、いい。 宮古島では、地下水の湧水地をガーといい、漢字で川や泉を当てている。 下地町はいまでは、宮古島市と合併しているが、当時のままに残っている立て札はその背景の歴史が伝わってくるようだ。 うえの写真が、来間ガーの全景である。 不自然な磨かれたトラバーチンの石柱や祭壇があったりするが、これも来間住民のかたがたの ガーに対する感謝のあらわれなのだろう、そんなことをおもった。 また余談だが、この場所は霊気がただよい、そういう意味からもきもちのいい「場」である。 2007.03.30 Friday
来間(くりま)のデイゴ並木
来間島(くりまじま)で、デイゴが咲き始めたそうだ、そう教えられて来間大橋を渡った。 来間大橋を渡って、港に下りて行く道を崖下をさらに進んでいくと、湧水地跡「来間ガー」に至る。 その途中に見事なデイゴの並木があった。 進入路の入口周辺は、みごとに咲いているが、花の数は少ない。 奥に進むほど花は咲いていない状態だ。 幹をみると、長い年月を感じる。 沖縄には「デイゴが沢山咲く年は台風が多い」との言い伝えがある。 有名な「島唄」は「デイゴの花が咲き、風を呼び嵐が来た〜」で始まるが、これは昭和20年春、本島への米軍上陸を意味するとか。 さて、この咲き振りではことしの台風はどうなのだろうか。 今年ぐらい大きな台風が来そうな気もしないではない。 デイゴ(梯梧、学名 Erythrina variegata)はマメ科の落葉高木。 春から初夏にかけて咲く赤い花が有名。 沖縄県の県花(ちなみに県木はリュウキュウマツ)でもある。 エリスリナともいう。 カイコウズ(海紅豆)が別名とされることが多いが,これは別種のアメリカデイゴ(鹿児島県の県花)のこと。 デイゴはインド原産の落葉性高木。 落葉性とはいっても、冬に全木が落葉することはあまりなく、 花が咲く枝が落葉する傾向がある。 花は枝先に穂状に出る。 葉は大きな幅の広い葉を3枚つける三出複葉で、クズの葉に似ている。 木は太くなる。 あまり高くならず、横に枝を張る傾向がある。 公園や街路樹としてよく栽培されるが、根本や根からも芽が出るので、人家の庭に植えられることは少ない。 材は柔らかく、加工しやすいため、漆器材料として使われる。 余談だが、琉球大学で学生が配っている合格電報の文面は“デイゴ咲く”。 ところ変われば、である。 これは、デイゴの花房の基部周辺の花弁である。 始原的なカタチだ。 この赤みは蒼い空を背景にするとじつにうつくしい。 このデイゴ並木は、来間ガー(湧水地)に続いていて、ガーを見学しての帰路、デイゴ並木におおきなコウモリがぶら下がっていた。 蜜を吸いに出てきたのだろうが、その顔相に驚いてしまった。 携帯を向けると、しばらくして背後の茂みに飛んでいった。 羽をひろげたコウモリは以外に大きく、おもわずサキシマオオコウモリでは、と内心おもったほど。 愛用の携帯付属のカメラでは望遠がここまで、見づらい点はご容赦を。 2007.03.29 Thursday
月桃(サンニン)の防風林
福北の東京農大の近くに月桃の防風林に囲まれた畑があり、いまその花が満開。 おもわず、近寄ってみた。 月桃(げっとう)は、島の方言で「サンニン」といい、島のいたるところで生えているショウガ科の多年草の植物。 その月桃をわが家ではお茶にして頂いている。 庭の月桃を取ってきて葉っぱを刻んで熱湯のなかに浸すだけで、健康茶が即席で出来あがる。 飲み始めると、ハマルこと間違いなし。 からだの細胞が喜んでいるようすがつたわってくる。 月桃の花は、セルロイドで出来ているのでは、と思わせる質感がある。 ツヤツヤとした質感は造花のようである。 不思議な花である。 その花を接写したのが、うえの写真。 うーん、と唸ってしまう。 やはり、亜熱帯の植物の花はかくも始原的なのだろうか。 遠くで見ると房状の花たちもちかくでひとつの花序をみると、以外に始原的で、その生命力に圧倒されそうになる。 2007.03.28 Wednesday
花を着けたモクマオウ
先日、城辺運動公園のモクマオウについて書いた。 そのときから黄変した樹姿が気になっていた。 再訪してよく見ると、それはモクマオウの花だった。 それも全体の葉量の半分くらいが黄変している。 それも気になった。 細長い松の葉のようなものは茎であることは、以前に書いた。 その細長い葉っぱのような茎の先端部に、きな粉をまぶしたように花が咲いていた。 変わったカタチの花である。 大学の実験室に枝を持ち帰り、白い紙のうえに置いて写したのがうえの写真である。 なにかに少し触れるだけでパラパラと落ちてしまう。 モクマオウの花は雌雄同株。 ここにも自然の知恵がみえる。 2007.03.27 Tuesday
「体験滞在型観光シンポジュウム」のこと
宮古島市観光商工課主催の「体験滞在型観光シンポジュウム」が、ホテルアトールエメラルドで開かれた。 基調講演は、農事組合法人“伊賀の里モクモク手作りファーム”の木村修代表社長理事による『地域ブランドで島を興そう』。 木村さんは、乱暴さを感じさせるほどエネルギッシュで自信に満ちたひとだ。 宮古島での、お客さまを迎えるには看板類がお粗末すぎる、本気でお客さまを迎えていることが伝わる看板類を是非、と語る。 また、“感動の低減法則”なるものを披露される。 感動は回をかさねるほど低減するというお説だ。 聞きながら、感動にも「質」の問題があるよなぁ、と呟いてしまう。 しかし、三重県の伊賀山麓・人口8700人の町に、年間40万人の観光客が訪れるまでにつくり上げた人だけあって説得力があるし、 なにより、実務的な提言がそのリーダーとしての気概を感じさせられた。 宮古島から「宮古ブランド」をつくり上げるには、ストーリー性があって知恵を必要とする。 テーマをもって、多くのものづくりのメニューづくり、そして集客のための戦略。 言われるとおりだろう。 しかし、成功事例の「もくもくファーム」から学ぶべきおおくの点を理解しつつ、宮古の特性を把握して展開すべきだろう。 これから具体的に「城辺グリーン・ツーリズム さるかの会」として、どう進めていくべきか、終了後にコーヒーを飲みながら松原さんご夫婦・野崎 幸枝さん・根間さんと語り合う。 松原さんのいう早急にNPO法人化して、事業化を進めるべき時期にきている、という点で一致した。 まず研修報告からスタート。 “宮島観光サービス”の辺土名 忠志さん、“さるかの会”の西原 昌枝さん、“フラッグシップ”の下地 慶さんの三名による研修報告が聞けた。 三名によるそれぞれ先行事例地を訪問した報告である。 わが「さるかの会」の友利支部長の西原 昌枝さんは、能登の“さんなみ”を訪問。 “さんなみ”のHPには、つぎのように紹介されている。 石川県能登 郷土料理の宿さんなみ(宿泊は1日3組様)では能登の郷土料理を大切にすると共に、無農薬有機野菜で自家製(地産地消)のものを。 魚醤油である「いしり」(いしる)も手造りの「一番いしり」です。 四季折々の旬の味と伝統料理の両方を味わっていただきながら、奥能登の食文化(発酵食も含めて)に触れていただければと思っております。 (食育の一助となれば幸いです)運がよければくじら料理(鯨料理)などのうまいもんが食べれるかもしれません。 日本の中でも北陸は特に魚がうまいところです。 健康は心の癒しと安全な食べ物が大切だと思っています。 能登半島の和風の小さな宿で、一軒宿ですが日本海を望む絶景で貸切露天風呂にでも入りながら 田舎暮しの雰囲気を楽しんでいただければと思っております。 奥能登には伝統文化、自然がたくさん残っております。 あなたも能登で異文化の感動を味わってください。 たまにはゆったりしたグリーンツーリズムを楽しむのもいいかも知れません。(静かなところでのんびりとスローライフが心地いい) 能登空港から車で約30分くらいの場所にあります。 最後に、宮古テレビの下地 一雄さんのコーディネーターによるパネル・ディスカッション。 下地 一雄さんは、わが「さるかの会」の西城支部長でもある。 進行役は手馴れたもの、さすがである。 城辺にグリーン・ツーリズムの組織が生まれ、大阪の修学旅行生を昨年多数受け入れた。 その自信をバネに、確実な発展を堅実に進めていきたいものだ。 2007.03.26 Monday
ソバの試験植え
東京から農業実習の学生たちが多数来島し、活気に満ちてサトウキビの生育調査をした畑。 サトウキビを収穫された畑はトラクターによってきれいに鋤き込まれ、ごらんのようになった。 この耕運された畑に、ソバの種を播いた。 播かれたソバの種は、「鹿屋在来」と呼ばれる在来種。 ソバをサトウキビの端境期に植えて収穫し、その後キビの夏植えに取り掛かる。 耕地の有効利用でもあるし、ソバが土中の窒素を固定化するので、 残留窒素の地下水流出を妨げる効果も期待しての、試験植えである。 研修センターの実習生たちが頑張って種を播いてくれた。 在籍している3名の実習生は、4月から本校(東京)に入学する。 その後輩たち3名も種蒔きに参加した。 新しい実習生は、1年間この亜熱帯農業研修センターで「農」の初歩を汗を流しつつ学ぶのである。 宮古にソバが定着すれば、さまざまな効果が期待できる。 味のほうはどうなのだろうか。 試験植えの試みにおおいに期待したい。 2007.03.25 Sunday
巨大なポトス
福北の一周道路を通るのが好きだ。 旺盛な春の息吹を体感できるから。 車をゆっくり走らせていると、リュウキュウマツに絡みついた巨大な蔓性植物を見つけた。 絡み付いているのは、ポトスである。 本土で観葉植物として鉢植えで売られているポトスが、なんとでかいこと。 ポトス(pothos)とは、サトイモ科の植物の一種。 学名Epipremnum aureum(シノニムRhaphidophora aurea,Scindapsus aureus)。 かつてはポトス属に分類されていた名残で、園芸上はポトスと言われている。 和名はオウゴンカズラ(黄金葛)。 原産地はソロモン諸島である。 それにしても巨大なポトスである。 蔓は竹のように太い。 生命力の旺盛な世界のなせる技なのであろう。 うえの写真はよく見られる鉢植えのポトス。 葉が美しいので観葉植物としてよく栽培されている。 園芸品種がいくつかあり、葉が斑入りのものや黄色がかかったものもある。 蔓性の植物のためヘゴに這わせたり、吊り鉢に植えて垂らしたりする。 繁殖は挿し芽による。 2007.03.24 Saturday
「一人当りの市町村民所得」のかたるもの
2004年度の「一人当りの市町村民所得」の統計が発表された。
わが城辺町は、18年連続最下位である。 この数字をどう評価したらいいのだろうか。 いろいろと考えさせられている。 若者たちは町を離れ、高齢者が多い地域で生産性はあがらないのは当然。 所得が多いに越したことはないだろうが、取り立ててお金をさほど必要としないで生きていける地域の魅力も侮れないものがある。 あったら便利なものと、どうしても必要なもの。 そのあたりの、物に対する考えかたも考えざるをえない。 押し並べて裕福でない世界には、ある種の連帯感が生まれる。 そしてお互いに支えあい協力しあう気風がうまれる。 「ユイマールの精神」である。 時代とともに希薄になりつつある精神性ではあるのだろうが、生きていくうえでの喜怒哀楽を共有する世界が広がることは喜びである。 したに、地元紙に掲載された記事を貼り付けてみた。 御一考を期したい。 宮古一人当たり184万円/04年度市町村民所得 旧城辺町は18年連続最下位 宮古地区の所得が低い要因はサトウキビ中心の農業で第一次産業の生産性が低いことや、生産性の高い第三次産業の割合が低いことなどが要因となっているようだ。 一人当たり所得の市町村別では、旧平良市が二百五万六千円で県内十七位となり、唯一県平均を上回った。 多良間村は百八十万六千円で三十六位、旧伊良部町が百六十万四千円で四十八位、旧下地町が百五十一万一千円で四十九位、旧城辺町が百二十万一千円で最下位の五十二位となっている。 同年度の市町村民所得(県民所得)は、二兆六千九百九十八億円で前年度に比べ〇・二%減少。 合併前の旧市町村別増加率では、三十二市町村が県平均を上回り、二十市町村が下回った。 対前年度比の宮古地区は、旧平良市と多良間村が下回ったが、そのほかは増加となっている。 また、宮古地区全体としてはマイナス〇・八%となり、六地域の中で最もマイナス幅が大きかった。 そのほか、市町村内純生産(県内純生産)は製造業や建設業などの減少で対前年度比一・〇%減の二兆四千七百九十二億円。増加率の地域別では、すべての地区で減少となり、宮古地区は同比三・四%減と減少率が県内六地区の中で最も高かった。 宮古地域の市町村民所得を項目別に見ると、雇用者報酬は六百四十七億二千七百万円で前年度より二・〇%減、財産所得は五十億七千四百万円で二一・三%増、企業所得は三百十七億八千五百万円で一・二%減となった。 市町村別の増加率では旧上野村が六・八%増で県内二番目の増加率となったがそのほかの市町村はすべて減少となっている。 ◆◆ことば◆◆ 市町村民所得 経済活動で新しく生み出された価値(付加価値)が労働、土地、資本といった生産要素の提供者に分配された額。 企業の利潤などを含み、年金・恩給・社会保障給付などの移転所得は含まない。 余暇時間や社会資本の整備状況、歴史・文化的資産などの価値も含まない。 このため、生活水準をそのまま表すものではない。 一人当たり市町村民所得 市町村民所得(分配)を市町村内人口で割ったもの。 2007.03.23 Friday
みなみの島のタンポポ
タンポポは、春を告げる花として日本列島を咲き飾る。 北からエゾタンポポ、カントウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポ、 ツクシタンポポとタンポポはまさに列島を咲き飾っている。 まさに日本の春の野花として、可憐な黄色い花を大地にひれ伏しながら咲き競っている。 そうした在来種を追い越して、勢力拡大しているのがセイヨウタンポポである。 在来のタンポポとセイヨウタンポポを見分けるのは簡単。 タンポポの花は、集合して頭状に花序をつくっている。 その頭状花序の付け根に緑色の総ホウ片が並んでいる。 その総ホウ片がきちんと固まって反り返っていないのが在来種。 外来のセイヨウタンポポは総ホウ片が反り返っている。 みなみの島で見つけたタンポポも、やはり外来種だった。 うえの写真で左がセイヨウタンポポ、右が在来のタンポポである。 数日して訪れてみると、タンポポはワタボウシにかわっていた。 タンポポは結実すると急に背を伸ばし、たくさんの冠毛(かんもう)を着けた種子を 吹く風に乗せて分布圏を広げていく。 小さな野の花がもつ遺伝子保存の知恵。 すごいものだ。 2007.03.22 Thursday
ノカラムシの群生
裏底海岸へ下りて行く道の法面(のりめん)が、単一の草木の苗木で覆われていた。 風に吹かれて白い裏地がめくれ、その裏地でカラムシの仲間であることがわかる。 よく見ると、ノカラムシの苗木たち。 カラムシは、学名をBoehmeria niveaといい、イラクサ目イラクサ科の多年生植物。 南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古来から植物繊維をとるために栽培されてきた。 同様に、繊維をとるために栽培されるラミー B.nivea var.candicans はカラムシの変種である。 別名は、苧麻(ちょま)、苧、古代日本においては「ヲ」という表記もある。 「宮古上布」の原料として欠かすことの出来ない植物である。 日本に自生するカラムシは、繊維用に有史以前から栽培されてきたものが、野生化したもので、 史前帰化植物であった可能性が指摘されている。 『日本書紀』持統天皇7年(639年)条によれば、天皇が詔(みことのり)を発して 役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「カラムシ」が挙げられている。 宮古では、野生化したカラムシをそこかしこのミドリの世界でよく見かける。 悪名たかき「人頭税」で女性たちに課せられた「宮古上布」は、過酷な歴史を背景にもっている。 多大な手間をかけて創られる「宮古上布」は、3代に渡って着ることが出来るという。 過酷な歴史を背景にもっているカラムシがそこかしこに生えている。 風に吹かれて白い下地をなびかせているその姿に、もの悲しい感慨を抱かずにはおれない。 |
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