宮古の風便り

ある宮古島移住者の視点から
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深夜の初詣
07年の初詣

 いよいよ大晦日である。 ことしもあと数時間。
大晦日は、朝10時から夜の8時まで、スーパー「サンエー」で駐車場の交通誘導。
その後すこし車のなかで仮眠して、11時から明朝6時までは宮古神社で初詣の警備の仕事。 すこしぼくにはハードだが、きょうでおしまいだから力がはいった。

 境内への参道には、すでに露天商の店があかあかと電気をともし焼きソバや焼きトウモロコシを売っていた。
その横にも露天商のテントが出ているが、シートで店を囲んでいて様子がすこし変。
その店は宮古では有名なたこ焼き屋さんで、聞くと、すでに開店している露天商の場所にお店を出すことにしていたのだが、
先に設営されてしまって急遽その横に店を出すことにしたという。
いろんな事情がありそうだ。 このたこ焼き屋さん、去年もここでお店を出していた。

 去年のことだが、宮城から若い旅人がぼくの家にすこしの間居候をしていた。 佐々木のしんちゃんといった。
そのしんちゃんが上野の電気も水道もない一軒家にうつり、そこで知り合ったこのたこ焼き屋さんのお店でバイトをしていた。 思い出のたこ焼き屋さんである。
たこ焼き屋さんは今夜は店を開けず、明日早朝から営業するといってはやばやと帰っていった。
帰るときに、出来立てのたこ焼きを差し入れてくれた。 こころ配りのいいひとである。

 はなしがそれたが、11時も45分ほど経ってくるとぼつぼつひとが集まりだした。
深夜の初詣のひとびとである。 境内では高校生の女の子たちがお札や神棚に飾る品々を売るために、長い売り場で忙しそうにその準備に余念がない。
やがて、隣りの祥雲寺の除夜の鐘が鳴りはじめるころには、参拝者の列は歩道まで伸びていた。
とくに若者たちがおおい。 高校生か中学生がかれらなりのお洒落をして友だちたちと集ってきていた。

 悲しい事件もあった宮古の若者たちの世界で、おおくの若者たちが新年を迎えるにあたって、神前に額づいている。
若者たちのそのすがたは、きもちよかった。 カッコいいとおもう。

 いろいろなことがあったぼくのこの一年。 そのひとつひとつに感謝してぼくも祈った。
ひとの出足は去年ほどなかったが、正月3が日で7000人が詣でると聞いた。
御嶽(うたき)を中心にした祖霊神信仰の濃厚なみなみの島で、新年を迎えるにあたって神社に長い列をつくっている。
祈りの光景がうつくしい深夜の初詣である。 そして長く短かった立ちんぼの仕事からやっと解放された。
自分にすこし誇らしさを感じた歳の暮、ありがとう、と夜空をみあげて囁いた。




| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 23:50 | comments(0) | - |
民謡居酒屋 「ぶんみゃー」
30日のぶんみゃー

 東京のヒロ坊から突然の電話がはいった。 聞くとワカイシュウのお父さんが癌で、そう長くないので、かれと見舞いに駆けつけたのだという。
ヒロ坊は、東京で左官業を営んでいて、ぼくの家の家主でもある。 久し振りの再会で、飲みに出かけた。

 行ったさきが、民謡居酒屋「ぶんみゃー」である。 宮古でも有名で旅行者のあいだにも人気がたかい。 
オーナーの古謝(こじゃ)さんのひとがらなのだろう。 年末ということで、さほどのひとではなかったが、あいかわらず旅行者で盛り上がっていた。
店のおくにかわいいステージがあり、そこで古謝さんのライブがおこなわれ、それを目的にくる旅行者もおおいと聞いた。

 楽しく愉快なときをすごした。 久し振りに飲んだ。 うまかった。
ひととひとがつながりあっている。 ありがたいことである。
ヒロ坊は翌日発ったが、帰るまえにぼくの働いているサンエーの駐車場まで、あいさつに寄ってくれた。
宮古を出て、東京という大都会でそれなりにイッカをかまえているだけあって、きもちのいいひとである。
久し振りに、おいしいお酒をいただいた。 ありがとう、ヒロ坊。


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
暮のスーパー
晦日のサンエー店内

 またまたスーパー「サンエー」のことである。 仕事がおわって店内に入ってみた。 
おおくのひとたちが、気ぜわしく年末年始の買い物でごったがえしていた。

 惣菜コーナーで見入ったのが、出来合いの寿司類が詰められているコーナーである。 さまざまな正月の惣菜類がならぶ。 
宮古では「オードブル」と呼ばれるセットが、お正月やお盆にはならんでいる。 おもしろい呼称である。
宮古の社会はある点、横社会である。
それぞれの家族はその親族を大切にしていて、正月のような「ハレ」の日には、おおくの親族がひとつの食卓をかこみ、食べて飲んで談笑するのである。

 古き良き古来からの、親族の繋がりが色濃く残っているのだ。
はじめのうちは、外来者にはとまどいもあるが、いまはそのありように少なからず浸っている。
浸っている、といっても宮古に親族をもたないぼくには、外来者という枠は拭えないのだが、
そうした「ハレ」の日に、呼んでくれる友人宅を訪れると、その雰囲気にじゅうぶんに浸され、いまでは細胞のひとつひとつにここちいいのだ。

 少しづつだが、ミヤコンチューになっていっているような、そんな体感がきもちいいのだ。



 
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
廃品回収の車
廃品回収軽四の全景廃品回収軽四 アップ


 サンエーの駐車場の車のなかに、生活臭いっぱいの軽四が止まっていた。
よく乗り込まれた車には、歴戦の傷跡が刻まれていて、ハッとするくらい存在感をまわりにふりまいていた。
荷台には、さまざまなリサイクル品がいっぱいで、おもわず覗き込んでしまった。

 荷台を覗きこんでいて、思い出したのがぼくの少年時代のバイトのことである。
小学生のころ、よく廃品回収のバイトをして、小遣いかせぎをした。 
とくに銅製品が高値だったので、捨ててある電線などを掻き集めては小遣いをかせいだものだ。 
子どもの小遣い程度の入金だが、菓子やノートに変えた。
時代が高度成長期以前で、子どもたちは貧しかったが、工夫して遊んだ。 
山のなかを走り回った。 野の実を食べて口のまわりを紫色にして、かけ回っていた。

 子どもの世界には世界なりに、ちゃんとした「秩序」があり、子どもなりに分をわきまえていた。 
そうした世界を教えてくれたのは、高学年の先輩たちだった。
諍いや喧嘩があっても、ちゃんとした暗黙知の秩序で処せられていた。 
はるかむかしの少年時代の光景を、軽四の荷台の品々が思い出さしてくれる。 思い出とはありがたいものだ。


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
オバァの買い物
オバァの買い物

 暮れになると、スーパーサンエーは年末の買い物客でこみあっている。 平良(ひらら)の客もいればとおく城辺(ぐすくべ)からもお客がくる。
その買い物客の車の駐車風景に先日ふれた。 駐車場でみえてくる人間風景は駐車行為だけでなく、その買い物スタイルにも目をひくひとがいる。

 この車のぬしはオバァ。 ここまでよく来れたね、と言いたいくらいのノロノロ運転。 
注意して運転してしているのは好感がもてるがあたまから突っ込んで駐車したものだから、出すのに大変。 
ひとの手を借りて駐車場から抜けだせたが、はてはて無事に帰れたものか・・・すこし心配である。

 そのオバァ、買い物をして軽四の荷台に次々にくくっていく。
買い物をほかに思い出したようで、また店内にトボトボと歩いていく。 荷物、みててあげるさぁー、と告げる。
オバァのお正月の風景がみえてくるようだ。 いいお年を。 オバァの背中に声をかけた。  


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
駐車場からみえるもの
昼のサンエー駐車場夜のサンエー駐車場

 師走のスーパーの駐車場で交通誘導の仕事をしている。 するといろんな人間模様がみえてくる。
買物をいそぐひとびとのすがたは、そのままひとの世の縮図としてみえてくるからおもしろい。

 われさきに割り込んで平然としているひと。 すこしでも入口の近くに車を止めようとやっきになっているひと。 
そうかとおもうと、ゆっくりと注意しながら駐車に時間をかけるひと。 バックができないで他の誘導員に車を運転して出してもらっているお年寄り。

 また、車からドアを開け飲み残しの缶ジュースをアスファルトのうえに置いていくひと。
レシートをかまわず駐車場に捨てていくひと。 タバコを投げ捨てていくひと。 車までカートで買い物袋をはこんでそのままカートを放置して帰るひと。

 そんななかで、さわやかな贈り物もある。
「ありがとうね」。 「ごくろうさまだねぇー」。 「さむいなかごくろうさま」。 
こころのこもったコトバである。 暖かいあいさつである。 

 じぶんのことのみにこころ奪われているひと。 もいればキチッとまわりへの気配りも怠らないひと。 
まさにひとの世の縮図のようなスーパーの駐車場である。

 この交通誘導のしごとは、ぼくにとって「自己放下」の業でもある。 そうおもって車にむかっている。
おかげでさまざまな生き様がみえてくる。 そして何より自分がみえてくる。
大晦日の夜9時までサンエーの駐車場、そのご少し仮眠をとって11時から正月の早朝まで、宮古神社の初詣の誘導がまっている。
ありがたいことである。


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
師走の赤花(アカバナ)
サンエーのハイビスカス 1サンエーのハイビスカス 2

 師走だというのに、宮古ではハイビスカスが咲いている。 周年鮮やかな花をつけている。
サンエーのバックヤードに生垣として植えられているハイビスカスに、数輪のアカバナを見つけた。

 連日曇りの日がつづき小雨がぱらついたかと思うと、突然暑い一日があったりと天候が不安定である。
季節感の希薄なみなみの島にも冬はある。 
ブーツを履いていたり、フワフワのコートを着た女性たち。 そうかとおもうと半そでのTシャツの若ものがいたり、
オジイの足元をみると素足にゴム草履をつっかけていたり。 じつに個性的なひとびとである。

 多様なスタイルが共存している。 おもいおもいのスタイルで生きている。  
みなみのちいさな島でともに生きあっている。
   


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
雲間からみえるもの
サンエー駐車場からみた曇天 1サンエー駐車場からみた曇天 2

 あたまをあげると にごった乳色の雲がたちこめている 
ゆっくりと それでいて急いで 流れていく

 そのちっぽけなすきまから あおい天空がみえた
雲はさまざまな様相をみせながら うつりゆく

 すこしの間 陽光の核が閃光をはなつ
しばらくすると たちまち にごった世界にもどる

 全天を雲でおおわれようと たしかに 「いのちのみなもと」 はまぎれもなくあるのだ
ありつづけて あるのだ
ありつづけて あったのだ

 おおくの雲のうつろいにこころをうばわれて なんと 「いのちのみなもと」 を忘れてしまうことか
わすれていても いつもいつもありつづけてくれるありがたさよ

 おもくつもった雲のした きょうはクリスマス・イブという
あなたをおぼえるうれしさよ
メリー メリーエスト ヘブン


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
みなみの島からの旅立ち
農大の忘年会

 東京農大の亜熱帯農業研修センターに、4名のジャイカの研修生が日夜研修に励んでいる。
かれらの3ヶ月間の研修発表会があり、拝聴させてもらった。
問題意識をもって農業に勤しんでいるだけあって、内容のある発表会であった。
研修生のうち、宮崎出身の立山くんが23日に研修を終え、その後長野での80日間の語学研修を終えると、
南米のパラグアイに2年間農業指導にでかけるのである。
 21歳のかれの熱意や情熱に、おおいに感応させられた。 ぼくも熱く共鳴した次第である。

 そのかれの壮行の門出をほかの研修生や実習生が祝った。 
修業のセレモニーのあと大学の職員たちも加わった「うたげ」が開かれ、ぼくも加えていただいた。

 こうした交流は座学にはない魅力がある。 
ことにオトーリがまわる場ではみな本音の世界であり、そこから生じる熱気にまいってしまった。
ぼくもおおいに啓発させられる。 だから、ありがたいのだ。
深夜まで熱い交わりがつづき、やがて寮のベッドをお借りした。

 この研修センターで学んだ若者たちが、世界に羽ばたいていくのだ。
その情熱と熱意と誠意に、こころからエールを送ろう。 
任地で待ち受けるさまざまな出来事も、その熱意で突破されんことを、こころから祈念している。


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
高培土(たかばいど)のこと
高培土

 サトウキビがある高さに成長すると、その脚部に土を盛り上げて、これから長く伸びていくキビをしっかりと支える目的で、盛り土をする。
それを、高培土(たかばいど)という。 知ったのは恥ずかしながら1週間ほどまえ。

 キビの生育過程には、植え付け、平培土(ひらばいど)、高培土とつづく。
その高培土がなされた畑があったので写してみた。 きれいな高培土である。

 いままでなにげなく見ていた事象が、その何たるかが判然としてくることは快感である。
いままでなにげなく見ていたキビ畑の床部が、ぼくにその意味まで伝えてくれる、楽しいことである。

 こうしたひとつひとつの農作業には、必然がもちろんあり、意味があるのだ。 ということが明確になったことだけでも、うれしい。


| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
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