2012.08.06 Monday
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宮古の風便りある宮古島移住者の視点から
2006.10.30 Monday
タートル・マラソン
スポーツアイランド宮古島は、トライアスロンが有名である。 その対極が「おそいあなたが主役です」のタートル・マラソンである。 今回の第30回大会には、1900余名が参加した。 ぼくは交通誘導の仕事でゴールの東平安名崎の進入路で路上に立った。 全部で4つのコースがあり、最長は宮古島市陸上競技場スタートのAコース、22.5キロ。 最短は東平安名崎の侵入路スタートのDコース、2キロ。 あと、10キロと7キロのコースがある。 途中、小雨がぱらついたが、家族や友人達と楽しく秋の城辺路を満喫、そんなのどかな光景であった。 速さを競うのではなく、その過程を楽しむというこんな大会は、宮古にフィットしているようだ。 2006.10.27 Friday
池間のユークイ
宮古島の北に、池間島がある。 その池間島で伝統の祭祀(さいし)「ユークイ」が、25〜26日の両日行われた。 「ユークイ」とは、“富を乞う”という意味らしい。ツカサンマ(司母)と呼ばれる神女役の女性5人が、向こう1年間の大漁・豊作を祈願して島内の聖地を巡った。 ツカサンマは25日夜、上原山のナナムイ聖地でこもり、ひたすら祈りをささげた。 一夜明けた26日早朝、白装束に身を包み、シイノキカズラ(宮古方言;キャーン)で編んだ草かんむりを頭にのせて、手にティーウサ(手草)を持ち、 「ヨーンティル」と連唱しながら、島の各聖地を回った。 と、宮古毎日新聞にあった。 宮古には、他域にもこうした古い伝統が色濃く残っている。 時間が止まったような、それでいて「永遠の時」(eternal time)といった感じの、なぜか懐かしささえ覚える感覚は何なんだろう。 ユングのいう「エンシェント・ヘリテイジ」(ancient heritage)とでも呼ぶ精神の古層に感応するのだろうか。 2006.10.22 Sunday
イーザトの夕暮れ
久し振りに、夜の「街」に行った。 夏祭り以来である。 宮古で「街」といえば旧平良市の西里である。 西里と書いてイーザトと読む。 西は太陽がイルからイリと読み、東は太陽がアガルからアガリ、東里はアガリザトと読む。 シーズンにはこの界隈は旅行者がみやげ物店や飲食店にくり出してなかなかの賑わいを見せるのだが、いまはひっそりとしたものだ。 通りのなかほどに「さんご家」というお店があり、そこで東京農大の中西先生の小グループの飲み会があり、それに呼んでもらったのである。 8人の小グループでうち5人は農業研修の若者である。 みな坊主頭の好青年である。 4人はJICA(ジャイカ)の青年海外協力隊で海外に協力隊として参加することになっている若者達である。 ドミニカやニジェールだ。 みんなすがしい目をしている。 話がすすむ。 久し振りに多弁になった。 そうした夢をもった若者たちが大好きなのだ。 若者達との会話でこちらもおおいに若者のような気持ちになれるからタマラナイ。 オトーリがまわる。 会話がまわる。 ぼくの頭も朦朧とまわっていった。 2006.10.21 Saturday
南の島に賢治の声を聴く
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である 《宮沢 賢治 『農民芸術概論 綱要』より》 大好きな賢治の声を、南の島で聴いている。 宇宙的視野で個を見つめていた賢治の大きさ、打ち震えるおもいで昇る朝日をあおいでみる。 2006.10.20 Friday
西東の圃場整備
城辺の西東(にしとう)で大規模な圃場整備が行われている。 工事がはじまって久しい。 何台ものダンプカーや重機が忙しそうに動いている。 表土は大切に集められ小山がいくつも出来ている。 薄い表土の下の隆起石灰岩は掘り起こされ適度の大きさにされて、周囲や境界の石積みに利用される。 見ていると、大きな土いじりのようだ。 こうした工事によって耕地の合理化がすすみ営農がさらに発展していくのだろう。 圃場整備のあり方に批判的な声もあるようだ。 今後の負担金の支払い等問題は残っている。 しかし、圃場整備は農に携わるひとびとにとって積年の希求だったのだ。 やがて出来る新しい農風景はやがて静かに島のなかに同化していくのだろう。 そう思いたい。 2006.10.19 Thursday
比嘉の気象ロボット
比嘉(ひが)集落の近くの畑のなかに、どこかで見たような装置がポツンとたっている。 上野のバイオマス研究所の前の、琉球大学の試験圃場に同じものがある。 まえにもふれたが、鋼管にさまざまな装置がぶら下がりくっついていてその役目がすぐには判然としないのだが、 じつは「気象ロボット」と呼ばれている最新兵器なのである。 設置した地点の、風力・風向・降水量・気温・湿度・日照度・地温と7つの情報を、琉球大学に飛ばして一括管理している、そんな最新兵器と聞いた。 宮古には、ほかに伊良部島にも設置されていて、合計3箇所の局地の気象情報を発信しているのだ。 設置する個所を増やして、局地の気象データを集計すると大変重要なデータが蓄積されることだろう。 宮古にはご存知のように世界初の「地下ダム」がある。 最新の技術力で地獄の干ばつ禍から開放され、水のある農業が展開されている。 いたるところでスプリンクラーがキビ畑に弧状の散水をしている光景を見ると、なにか嬉しくなってくるものだ。 この全身骨だらけの現代の最新カカシが刻々と集めてくれる情報によって、近い将来、台風禍や気象禍が軽減されることになるのだろう。 田圃のなかの現代の最新カカシ、 その痩躯は宮古の老農夫のようにまばゆい。 2006.10.18 Wednesday
「さるかの会」 10月例会
「さるかの会」の例会に行った。 なんと今回は一番乗り。 男性陣はだれも来てなく、台所で準備中の敬子さんやご婦人たちとしばし歓談。 彼女たちは手は止まらず、さすがである。 しばらくして男性陣の登場だ。 市役所勤務の松川さんも来られる。 久し振りだ。 かれは彦さんの元部下で城辺町の企画振興課でグリーン・ツーリズムの企画で奔走した功労者なのだ。 久し振りに会えて酒がすすんだ。 うまかった。 いちやはくダウンした。 いよいよ大阪の高校生の修学旅行の受け入れが来月にせまった。 かざらない普段着の生活のスタイル。 それだけでいいのだ。 それがすごいのだ。 宮古のすっぴんの美しさ。 その「素の生きすがた」こそ感動なのだから。 都会の若者に是非この「素の生きぶり」にふれて欲しいな、そんなことを寝っころがりつつ思った。 2006.10.17 Tuesday
海上の感嘆符(!)
かの小説家は、海上の感嘆符(!)と言った。 かれの『私の釣魚大全』(開高 健著)には次のように書かれている。 「 それは太平洋のドまんなかに突如としてとびだした岩である。 八丈島を出発してまっしぐらに南下していくと、青ケ島、ベヨネーズ列岩、須美寿(すみす)島、鳥島というぐあいに ポツン、ポツンと孤立した小島や岩礁を水平線上に目撃することとなるが、 その最後の鳥島を通過してからさらに南下をつづけると、 夜の明ける頃に、突如として水平線上に小さな感嘆符がついているのを目撃することとなる。 それが念願の光景である。 《そう婦島》ともいい《そう婦岩》とも呼ぶ。 ( 注; 「そう」は、女偏に雨かんむりのしたに相と書く。 ぼくのパソコンでは変換不能。) 近頃ではまったく見かけることのない字であるが、“そう婦”とは寡婦(やもめ)のことである。 無辺際の大洋のさなかにたったひとりでたち、ある角度から見ると、 ちょっと手を組んでうなだれた姿に見えるものだから、昔の人は連想をかきたてられたのだろうと思う。 “後家岩”、“未亡人岩”、“寡婦岩”、どう呼ぶよりもこの呼びかたがぴったりしていると思わせられる。 昔の人の素養と言語感覚には感心させられる。」 海上の高さは100メートルほど。 その周辺の海底は2000メートルもあるというのだから、海溝のなかのモンブランのようなものなのだ。 ごつごつした岩肌には、あぶなっかしい海鳥の巣があり、驚いたことに頂上部にはイネ科の草が生えているという。 東京を南下すること、650キロメートル、八丈島から67キロメートルの大海原のなかという。 かの小説家ではないが、一度見てみたいものだ。 2006.10.16 Monday
空港の花壇
久し振りに空港を訪ねた。 所用で西里監査役を訪ねた。 ターミナルビルの前面の道路の脇で花壇づくりのコンクールがあって、 宮古パラダイスの作品が優勝した、と事前に聞いていたので見にまわった。 これが、その作品。 シンプルだがシンメトリーに創りこまれている。 派手さはないが草花の性質を活かして植えられている。 宮古パラダイスの会長でもある西里監査役におめでとうございますというと、てれたように、ほかのがお粗末過ぎたんだよ、とのこと。 この作品を創りこんでいる青木くん、狩俣くん、トミアンガ、ミヨさん、チヨさんの顔が浮かんだ。 かれらに会いたいなぁ。 西里監査役との打ち合わせが終って、急いで宮古パラダイスにむかった。 2006.10.15 Sunday
漂着ゴミ 雑感
友利から福里のガソリンスタンドの脇の道を道なりに進むと、東京農大の研究所がある。 そのまま一週道路を横切って道を下りて行くと浦底(うらぞこ)海岸に出る。 その漁港の海へ流れ込むスロープにこのような漂着ゴミがいっぱいあった。 ペットボトルのラベルは、漢字、ハングル文字、タイかミャンマーのくねくねした文字、いろいろある。 ちょうどそこは漁港の突堤が両脇から抱え込むように海洋に突起しているので、漂流する廃棄物を抱え込むような格好になっていて、 このように多くの異国からの漂流物を寄せ集めているのだ。 それにしてもその全容は目を覆いたくなるような景色だ。 かつて母なる太洋は、その背にあるものを自然の溶解力で分解してくれた。 しかし石化燃料の製品にはその分解溶解の力は及ばないのだ。 ひとはいままでさまざまなものを海に捨ててきた。 そしていまも。 これからも。 ひとがいままで自然と関わってきた内実をそこにみて、うつむいて足早に去った。 |
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