2012.08.06 Monday
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宮古の風便りある宮古島移住者の視点から
2006.09.30 Saturday
防風林 私考
城辺の畑地のなかに、ミドリのついたてのような緑地が走っている。 人為的に植え込まれたモクマオウの高木が、斜面に点在している。 林端部にはパパイヤが生えている。 持ち主のないパパイヤは青いままもぎ取られ食卓に出るのだろうか。 宮古独特の「ケスタ地形」と呼ばれる断崖部に、かろうじて緑地をもつに過ぎない島だ。 数本のミドリの地軸を、人智をもちいて「いのちのネットワーク」に構築できないだろうか、それがぼくの祈願でもある。 なにから出来るだろうか、まず出来ることからはじめよう。 そうおもいながら時だけが過ぎ去り、自分のなかに焦りと諦めが浸透してくる。 宮古島市の農政課が、狩俣地区で防風林の整備にかかると新聞にあった。 2003年宮古諸島に襲来した台風14号で、農産物は甚大な被害を受け、改めて防風林の重要さがクローズアップされたのだ。 ちかく、農政課に伺ってみよう。 2006.09.29 Friday
ドームの家
城辺の福里に行く手前に、この人家がある。 そのまえの道路を通るたびに気になっていたおうちである。 自衛隊の施設の払い下げでつくったそうな。 宮古のスラブヤー(コンクリート造の平屋)の群立する集落のなかで、ひときわ目をひく。 宮古の気候を考えれば、もっと開口部の多いおうちのほうが住みやすいのに、 さぞや夏場は暑いだろうな、とかってに想像してしまう。 人さまの住まいを勝手に云々するのは、失礼なことだが、 特に真夏日なぞこのおうちの前を通るとあらぬ心配が湧いてくる。 それにしても、気になるのだが。 2006.09.28 Thursday
ささくれたキビと秋の空
風がかわった。 真夏の風とは明らかに違う。 木陰で味わう風の妙味は、サラリとした残香を頬に残して、流れていく。 空の色がかわった。 真夏の濃いブルーから、淡いブルーになっている。 一ヶ月前の空の色とは、明らかに違う。 濃いブルーの天空に、勢い立つ入道雲は今は姿を消し、かたまりをなした綿雲がのどかにゆっくりと流れている。 先の台風で、キビの梢頭部はささくれ、それがあたかもススキの若穂のように、風にもてあそばれている。 木陰に入って、「宮古の風」を味わってみる。 2006.09.27 Wednesday
宮古の石工
城辺のある集落に、がっしりと石垣で囲まれた人家がある。 ひとの背丈以上の石垣で、一見すると公的な施設の外壁に思えるが、そうではない。 人家なのだ。 それにしても威圧的で、外部の空間から自らの生活を分離・隔離しているのだ。 その重厚な石積みのなかには、古い洋風の平屋のアカガーラヤー(赤い瓦屋根の家)の寂れた人家が二棟、L字型にひっそりとつつましくある。 その不釣合いが異様だ。 その石積みのディテールがこれ。 じつにいいのだ。 いい仕事をしているのだ。 宮古には、歴史的な墓墳にもすごい石積みが残っているし、最近のほ場の整備で積まれた石積みにも、驚くほどいい仕事がみられる。 それらを集めるとすばらしい『宮古の石工たちの仕事』が纏まるようにおもう。 それにしても、この人家の外壁の石工たちの仕事はうつくしい。 名もなき石工たちの荘厳な作品に、ときを忘れて見入っていた。 2006.09.26 Tuesday
生活改善の看板
宮古は、付き合いが多い。 とにかく多い。 特に集落ごとの寄り合い(ふるめかしいコトバだ)や、子どもの成長に関わる付き合いが多いようだ。 集落の公民館や集会所の入口にうえの看板をよく見かける。 お金が関わる付き合いについての「オフレ」である。 このように決めておかないと、おたがい交流する世界が広いものだから出費がかさむのだ。 こころゆかしい取り決めだ。 本土の都市部では、隣近所の付き合いが希薄だが、ここ宮古は濃厚なのだ。 城辺の福中(ふくちゅう)の公民館の塀のそばに建てられた看板である。 ほほえましく見あげてみた。 2006.09.25 Monday
ふたつの浮雲
城辺の宮古製糖のまえの交通誘導の仕事ちゅう、ふと見上げるとこのふたつの雲が目にはいった。 9月の宮古の空は、雲が湧き、たなびくよりは流れていく。 雲は、見ていて飽きない。 空は、その表情を見上げているだけで時の経つのを忘れる。 見上げたときは、ふたつだった浮雲がすぐにひとつになり流れていった。 寸時の出来事なのに、なにか気持ちのなかが変わったようだ。 いいなぁー、と呟(つぶや)いた。 2006.09.24 Sunday
地軸の断面
はじめて通る道だった。 車が一台やっと通れるほどである。 城辺の、通称ムイゴシと呼ばれる集落に行く途中に、このような剥き出しの地軸が目に付いた。 宮古の地層は、のこぎりの刃のような断層が同方向に走っている。 高くはないが遠くから見るとあたかも小高い緑の稜線が走っているように見える。 それにしても、表土らしきものはわからない。 しろっぽい砕けた骨のような隆起石灰岩のうえに、ミドリを湛えている。 根は隆起石灰岩の割れ目に食い込んで、やっとからだを支えているようだ。 状況に不満をいうことよりも、状況のなかでせいいっぱい生きている。 宮古の風土とそこに生きる島人(しまんちゅ)のたくましい生の実態を、この剥き出しになった地軸が教えてくれている。 気概のある風景である。 2006.09.23 Saturday
ヒビ割れた畑土
宮古の畑土は、「クチャ」と呼ばれる粘性土である。 雨が降るとぬかるみ、乾燥するとパサパサでひび割れる。 腐葉土のような適度のものはない。 極なのだ。 どちらかなのだ。 ひび割れた畑土に、どのような理でそうなるのか、不思議なそして綺麗な地表を這ったちいさなクレバスに見入ってしまった。 自然はかくもきれいなのだ。 しばらく畑土に映った自分の顔を探してでもいるように、地表に見入ってしまった。 2006.09.22 Friday
孤島イン・パリ(畑)
福里(城辺)から国道380号を進むと、皆福(みなふく)という集落がありその先に七又(ななまた)という集落がある。 集落の南岸は断崖が陸の端部となった美しい「七又海岸」がある。 その七又は、ホジョウの土地改良が行われていて、階段状に石積みされた畑(パリ)が、濃い土色をしており、思わず車を止めた。 いまは、キビの夏植えの時期でもある。 2〜30センチに切られたキビの茎を一列に並べて土を被せ、来年の冬に刈り取るのだ。 整然とつくられた畦のなかに、真新しい石積みに囲まれた巨石が2箇所、あたかも孤島のようだ。 この「石」も、不可侵の霊域の拠りしろなのだろう。 畏敬のおもいで、残されたことがわかる。 キビ畑という生活場のなかに、忽然とある「異界」。 宮古の、景色である。 2006.09.21 Thursday
拝所ムイマシュウ
城辺の西東(にしとう)の集落のはずれに、小さな緑塊がある。 例によって白い標柱があるので、拝所もしくは御嶽(うたき)であることが判る。 白い標柱には 「拝所ムイマシュウ(ウプウタキ)」 とある。 覗いて見るが、例によって何もない。 老木の根が巻きついた薄汚い立石があり、その前に供物や香を焚いたあとがあるが、けっしてすがしい感じはしない。 鬱蒼とした杜に包まれた神社の境内の、アノすがしい風は感じられなかった。 そもそも沖縄の、といっても宮古のしか知らないが、拝所や御嶽は多くは祖霊を祭ってあり、いわゆる瑞風が舞う 「いやしろち」 にはほど遠かった。 こうした不可侵の聖域(というより霊域)が、そこかしこにある。 それは暗黙知として異域であり、生活場のなかに異空としてあるのだ。 次はよく晴れた日に覗いてみたい。 |
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