2012.08.06 Monday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| スポンサードリンク | - | | - | - |
宮古の風便りある宮古島移住者の視点から
2006.01.31 Tuesday
人間の本当の強さ
どのような生き方を実現したときに、人間はもっとも強いのだろうか。それは人間であることのもっとも根本の、そして端的な事実にこころを開いて、身をあけわたすときに、人間はもっとも強くあれるということだ。 自分の意志で生まれてきたものは、だれもいない。気がついたら、こうして存在していただけだ。自分のいのちを自分でつくりだしたものはだれもいない。いのちを贈られ、存在を贈られて、ここに、自分の意志を超えて、存在せしめられているというだけだ。 それぞれが、そこに生きている意味とか、価値などというものはなにもない。だれが死んでも宇宙にはなんの変哲も生じない。まったく無価値のままに、なんの理由もなしに、いのちを贈られて、そこに生かされているから、生きている。 その事実にはっきりと手をひろげて、そこに身をおくのだ。そして、贈られているいのちのままに生きようとする、いのちのままに生きている自己を、「本来の自己自身」と呼ぶわけである。 これは一切の我執(がしゅう)がなくなった、我執を去っている自己だ。我執というのは、本当は自分ではない、われでないものをわれとして、それに執着することだ。本当の自分ではないものを自分としてそれに執着する。地位だとか、財産だとか、名声だとか、というのは本来の自己ではない。 贈られてあるいのちに、そのまま身を任せるときに、そういう一切の迷妄というのは、はらりと消える。そして、いのちのままに生かされているから、そのとおりに生きようとしているから強いのだ。かたくなにがちがちに強いのではなくて、ゆったりと強いのだ。 2006.01.30 Monday
製糖工場からの排水
宮糖城辺工場の季節工として働いていて、ずーと気になっていたことがある。それは「水の流れ」である。 毎日膨大なキビが搬入されて、製品の「ザラメ」を作っているのだが、その過程でこれまた膨大な「水」が使われている。 搬入されるキビは毎日1,650トン、操業期間中の甘しょ生産高は総量91,000トン。その生産工程で膨大な「水」が必要になる。すべて「地下水」を汲み上げて使っているのだ。 上の写真を見て頂きたい。上段の左から「汲み上げポンプ場」、これは工場の外にある。その右が多良川の前を通過して「ウイピャーヤマ遺跡」近く、その右が「インギャーの芝生広場」に向かって流れている水路。向こうに見える小高い山の上に例の黒牛がいる。 下段に移る。左の写真は「インギャーの芝生広場」近くの流末近くの流れ。すごい水量である。そしてそれが流れ込んでいるのが右の大きな写真である。 流末は洞窟の中に流れ込んでいる。長靴で水路の中に入ると生暖かい、周りは甘ーい変な臭いがたちこめている。 インギャーの磯まで数10メートルの自然の洞窟の中に垂れ流し。それが流末だった。 周囲はいろんなものが散らばっていて汚い。工場のなかで機械にお札を貼っていたような気持ちはここには抱かないのだろうか。自然に返す個所こそ、周囲を清め、お供え物をして自然への畏怖をあらわすべきではないのか。自然への畏怖があれば、こんなデタラメな処理はしないだろうが。 操業期間中に「垂れ流される全水量」は、いったいどれくらいになるのだろうか。考えただけで怖くなった。これで自然への影響が無いはずはない。 いま、工場のいっかくで廃水処理施設の工事が進んでいるが、今期には間に合わない。いままでノドカに垂れ流し続けてきた環境負荷のシッペ返しが恐ろしい。 2006.01.29 Sunday
きょうは、お月さんのお正月
きょうの「宮古毎日新聞」のWEBサイトに、つぎのような記事が出ていた。 きょう二十九日は旧暦一月一日の「旧正月」。宮古島市伊良部の佐良浜では二十八日、漁師らが漁船に色鮮やかな大漁旗を掲げ、大みそかを祝った。 旧暦の行事を重んじる漁村の佐良浜や池間島、久松などでは、旧正月は先祖の神に海の幸や豚肉などのごちそうを供え、旧年中、無事過ごせたことに感謝するとともに、この一年間の航海安全、大漁などを祈願する。 大みそかの二十八日夕、佐良浜漁港では漁師らが係留中の漁船を清めた。船首と船尾などに大漁旗を掲げ、漁港内は旧正月を盛大に祝うムード一色に包まれた。 この日の平良港と伊良部島を結ぶ高速旅客船は、普段より乗降客が多く、同島に降りた客の中には、旧正月用の供え物を重そうに抱え、家路を急いでいる姿も見られた。 (写真説明・色鮮やかな大漁旗を掲げて旧正月を祝う=28日、伊良部の佐良浜漁港) と、大漁旗を掲げた漁船まで載っていたので、近くの友利地区博愛漁港まで行ってみた。 そこには、大漁旗を掲げた漁船は一隻もなく、いつものように4〜5隻の漁船が停泊していた。今では、旧正月を祝うのは佐良浜のような漁港だけになってしまったようだ。なんだか寂しい気もする。 2006.01.28 Saturday
宮古の『グリーンベルト整備計画』
宮古の「グリーンベルト構想」をはじめて知ったのは、2年前の晩秋。 本土で「宮古毎日新聞」を定期購読していたので、上の記事ではじめて知ったのだ。日付は04年11月5日(金)とある。 来島してすぐに森林組合を訪ねた。若い熱心な技術者の上原さんが対応してくれた。そして『宮古地区グリーンベルト整備計画』の冊子(上の写真)を頂いたのだ。 読んだ。ウッ! 詰まってしまった。細事はおいといても、一番大切な「森づくり哲学」、「緑の理念」とでも言えるものが、よく判らない。伝わってこない。むしろ無いように思った。 度重なる台風禍による農業へのダメージ・緑化率の低さ等々、緑の構築、森づくりの大切さは、島内に十分に認知された主要課題である。 プロジェクトの理念から行動計画に至る具体的な実践プランづくりは、まさにこれからなのだ。そして、「グリーンベルト構想」を「グリーンベルト運動」にしていかなければならないのだ。 それには、「みどり」といういのちの連鎖構築帯を、いかなる生命観・自然観・みどり観を拠りどころとして創りあげていくか、大切なのはその点なのだ。 骨格がしっかりしていなければ、豊穣な造型体は創りえないのである。 これは今世紀最大のプロジェクトなのだ。それは行政だけの問題ではない。 島民すべてが関わる今世紀最大のプロジェクトなのだ。後世のひとびとの語り草になることだろう。 そういう認識に立って今年は総決起のときだ。スタートのときだ。それを想うだけでなんだか嬉しくなる。ワクワクしてくる。 あすは遠足、その前夜のような子供の気持ちである。 2006.01.27 Friday
“樹木豊かな宮古島に”
きょう1月27日(金)の『宮古新報』の記事である。 市内10小中学校に組織されている「緑の少年団」に、沖縄県緑化推進委員会が樹木の種子や苗木を贈呈したというニュースだ。 これらの種子や苗木は彼らの学校で大切に育てられ4月に開催される沖縄県植樹祭で植樹されるという。すばらしいことだ。 この日渡された種子はテリハボク、コバテシイ、苗木はタブノキ、テリハボク、フクギとある。 伊志嶺亮市長は「人間が住む前の宮古島はタブの森に包まれ動物たちの天国だったと思う」とコメントしている。うん? ひとが住む前とは、はるか太古の時代をいっているのだろうが、ちと認識不足だ。 ひとが関わることを止めたときに生じる植生=潜在自然植生、ということは何も太古までタイムトリップすることではないのですぞ。首長としてもう少し勉強してよ。助役の2人制を言い出すし、ボケてこられたかな。 この子供たちといっしょに宮古の森づくりにいっしょに汗を流したいものだ。ことしは、タブノキの実を拾い集めて苗木づくりからスタートしようと思っていまから準備を進めている。 多くの共感者・仲間たちといっしょに。 2006.01.26 Thursday
『THE GREEN BELT MOVEMENT』
今週の水曜日から製糖工場は夜勤に変わった。 夜8時に出勤して翌朝8時に退社。仕事は主に制御盤の操作とメーター類のチェック、それと「缶」の中で出来たドロドロちゃんを階下のガッターに流し込む作業。 肉体的にはまったく楽。機械のメーター相手なので気が抜けないことと眠気だけが、ちと問題だ。 それで時間だけはいっぱいある。メーター類のチェックや単純な作業の合間に、もう3冊ほど本が読めた。そういう点からすると実に恵まれた仕事である。 キビからザラメが出来る過程も、制御室にあった専門書「甘しょ糖製造法」を読んでいるがこれがまた面白いのだ。 いま、仕事の合間に読んでいるのはワンガリ・マータイさんの『モッタイナイで地球は緑になる』(木楽舎)とその原書(左)。彼女がアフリカの大地に木を植え始めた経緯や彼女の情熱が伝わってきて、こちらも熱くなるのだ。 彼女のことばである。 「環境を大事にするという考えは、まず“自分自身の環境”を大事にするということです。 幸福とは、自分の内側に幸せを感じることです。 つまり、自分自身の環境は大丈夫なんだ、というメッセージが、幸せをあらわす笑顔になるのだと思います」 2006.01.25 Wednesday
僕の禁煙記念日
ずーと長い間、ひっかかっていたことにきょう決断を下した。何もそんなにリキを入れることではないのだが。つい入ってしまった。 ただ、タバコを吸うことを止めた、だけなのだ。 この日をいつか待ち望んでいた自分と、まぁ、いいではないかの自分が、ずーと長い間同居していたのだが、まぁ、いいではないか君に出て行ってもらった。 無理に追い出したのではない。 もう、いいんじゃーないかなぁ―と静かに深く語りかけただけだ。 しばらく語りあった。そしたら、まぁ君が、うん、わかった、じゃあねぇ〜、と実にかろやかに手をふりながら出て行ったのだ。 思えば、いろんな銘柄の巻きタバコ、パイプタバコを吸ってきたものだ。ありがとう、タバコくん。 別れがこんなにもかろやかに出来るとは意外だった。ただ、二つの声のみなもとにキチンと向き合い、誤魔化すことなく正視したら、「腑におちた」のだ。 「腑におちる」とは実に明快で、気持ちのいいものだ。 そんなわけできょう1月25日は、僕の禁煙記念日になった。 2006.01.24 Tuesday
宮糖工場からの南望
工場のストックヤードはキビの山・山・山。 ほぼ同じ高さに並べられたキビの山だ。 キビを口にくわえたブルが、無線操縦でもされてるみたいに無駄な動きがなく忙しそうに動いている。 新築された「丸吉食堂」が時をもてあましているように佇んでいる。 先には「多良川」の大きな工場の屋根、そのむこうに上比屋山(ウイピャーヤマ)の稜線が海域のなかにささっている。 古代びとの賑やかな祭りの賑わいが聞こえてきそうだ。 はるかに海域と空域を明確に分ける一筋のラインが描いてある。 2006.01.23 Monday
「てんつくマン」からのメッセージ
大好きな「てんつくマン」の日めくりにあったメッセージ。 奇跡は突然やってこない。 日々のくりかえし つみ重ね 信じぬいた気持ち。 A miracle does not simply “happen”. It comes from working day after day, building on your experienences, and never giving up. 2006.01.22 Sunday
久し振りの青い空
美しい風景である。久し振りの青い空だ。天空のブルーのグラデーション。 そのなかに小さくちぎれた綿雲が、一面にたなびいている。 キビ畑ではハーベスターによるキビ刈りが行われている。すでにハーベスターによって刈られた畑があちこちに見える。 刈り取ったキビは、クレーン車でトラックの荷台に吊り込まれている。 上から見るとよく分かるのだが、丘陵帯と平行にキビは植えられているのに気付いた。アゼがみな丘陵に平行になっている。風害を少しでも減らそうとの知恵であろう。 そんな景色をみつめて白い風車がゆっくりと輪を描いている。 のどかな風景である。 美しい風景である。 |
+ RECOMMEND
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ PROFILE
|
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|
PAGE TOP |