宮古の風便り

ある宮古島移住者の視点から
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宮古神社の深夜の初詣で
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 スーパー「サンエー」の駐車場の交通整理は、きょうは朝9時半から夜8時まで。その後、11時から翌朝6時まで宮古神社で警備の仕事。ハードだが年末から年明けにかけてのフル稼働が気持ちいい。
 宮古神社の初詣での参拝者は、11時半をまわったくらいからポツリポツリと集まり出し、45分には長蛇の列が出来た。宮古神社の初仕事は道路まではみ出した参拝者の列を歩道の上に90度に回すことだった。その後2時半ぐらいには列も鳥居のなかに消えていった。その後、仕事らしい仕事はなく、誘導灯を点滅させて立っているだけだった。
 参拝者が減ったので社務所に行くと、「まぁ、お上がりなさい」、「いや、仕事中ですから」。「上がってコーヒーを飲むのも仕事のうちですよ」。それでコーヒーを2杯もお変わりをした。おいしい最中も頂いた。
 応じてくれたのは伊那波さん。綺麗な白髪の老人だ。聞くと禰宜(ねぎ)さんで、宮司は本島におられるとのこと。今年の参拝者は去年に比べると少ないと言う。境内には宮古高校の女生徒やそのOBが10名程で、お御籤やお札・お守りを一列に並んで売っている。学校のバザーのようだ。白の着物に紅袴のスタイルではなくそれぞれ個性的な私服である。個性的な服装で一列に並びそれぞれ参拝者に声を掛けている姿はどこか宮古の街路樹のようだ。
 人影が少なくなったのを見計らってお参りをした。昨年の感謝とこの新しい年もどうぞともに歩んで下さいという祈りが湧いた。特に宮古に来て、それ以前より確かに、ともに歩んで下さっている「実存」を肌でヒシヒシと感じている。「この道を行け」という高い霊導に感応した生き方を、新しい年も歩みたいものだ。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
昼下がりの逢瀬
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 きょう(29日)は、仕事はお休み。サンエーの駐車場の場内交通整理の仕事が全日休み。それで以前から食事の招待をしたいと思っていた女性と食事をすることにした。場所は人里離れた(笑)「とぅんからや」だ。
 彼女にはほんとうにお世話になった。僕が免停になったとき、彼女にはよく運んで貰った。一日講習を受ければその日の内に免許証を返してくれる、あの講習会を受けなかったのだ。理由は簡単、講習料が払えなかっただけ。ただそれだけ。安全学校に免許証を持って行って一ヶ月後に貰いに行った。それで1万2千円は浮いた。
 ところがいろんなところへ行くには足が要る。それを知った青潮園の伊良部くんは、愛用のマウンテンチャリをあっさりと、「これ、つかって」とくれた。エ!。 ホントニイインデスカ? それでそのマウンテンチャリで友利から平良に乗って出た。お尻の皮がむけたのではないか、と思うぐらいお尻が痛かった。そんな僕を彼女は車に同乗させてくれて、ほんとうに助けてくれたのだ。
 お礼はそれだけではない。彼女は生き物のいのちの大切さを身をもって教えてもくれた。彼女には2匹の愛犬がいる。その2匹とも捨て犬だったのだ。犬のために家も移った。犬ばかりではない、ウコッケイやらガチョウやらほんとにガアガア飼っているのだ。聞くとひよこで貰ったのだと言う。いのちを識(し)ってるひとだと思う。僕の愛犬ルカにしつけの大切さをも教えてくれた。
 今年もあと数時間となったいま、感謝を述べたい。タイトルの「昼下がりの逢瀬」はいたずら好きの僕の遊び心からだが、詮索好きのふとっちょNおばさんが知ったら、そのへんを走り回っていることだろう。
ほんとうにありがとう、いっぱいの愛を。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
僕の発信基地
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 今年もあと3日。早いものだ。あっという間の2005年。いろんなことがあった。楽しかったこと、嬉しかったこと、いっぱいの1年だった。来島して1年目に遭遇したさまざまな戸惑いや大きな落胆もあった。この年ももう少しで閉じようとしている。
 それで、僕の発信基地を紹介しようと思う。友利のこの家は伝統的な間取りで、玄関の仏壇が置いてある部屋のすぐ後ろにこの3帖の和室がある。この家のなかで一番気に入っている部屋なのだ。「1番座」と呼ばれる玄関を入って右の和室は居候の武ちゃんが陣取っている。それでいいのだ。寝るときは本や資料が積まれた発信基地に布団を敷いている。こじんまりとしていて僕にはとても気持ちがいい城なのだ。
 その東の壁に面して17インチのモニターがこのように置いてありその前でカリカリとキーボードを打っている。ベニヤの壁には大好きなワンガリ・マータイさんの笑顔がある。その下の紙片にはこれまた大好きな宮脇昭先生のコトバが貼ってある。この笑顔とコトバでいつも励まされている。
 インターネットとは実に便利なシステムだ。南の小島から世界中に繋がることができるのだ。こんな夢のようなシステムを享受していて常に思うのは、このモニターの背面に漠々たる深い拡がりが潜んでいる怖さである。インターネットを覗くとその怖さがよく分かる。インターネット禍とでもいえる情報量の洪水である。そのなかに飲み込まれないで、必要な情報のみと繋がることがほんとうに大変である。
 ひとは誰かと、また何かと繋がろうとしているものなのだろう。大切なのは「誰と何を伝え合おうとしているか」だ。ブログという小さな発信情報だが、そのことを常々忘れまいとしている。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
垂れ流し
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 陸上競技場の前を通り元広域事務組合のある峠を越えると、しがらくして点滅信号がある。まっすぐ進むと熱帯植物園に行くあの道である。その点滅信号を右折するとこの小屋がある。牛小屋である。両耳に黄色いイヤリングをぶら下げた牛たちが、のんびりと草を食(は)んでいた。数えると6〜7頭のよう。
 こうした小規模の牛小屋の屎尿処理がたいへん問題になっている。いつもこの辺を通ると、懐かしい「田舎の香水」の臭いがした。その発生源がここだったのだ。手前の素掘りの側溝の黒い液体がそれ。まさにそのまんまの垂れ流しだ。
 電気工事屋さんの配線取替え工事の旗振りの仕事で、いろんなところで旗を振っている。車窓からだと見逃していた風景や香りを楽しむことが出来て、なかなかこの仕事は気に入っているのだ。しかし、この牛小屋のそばにずっと立っての旗振りはキツカッタ。
 素掘りの開渠だから視覚的によく「みえる」が、これが水洗便所で実は素掘りの穴の中へ垂れ流している人家の屎尿処理もまた大問題である。かく言う僕の家(借家)もそうだ。友利には集落排水すらない。偉そうなことを言える立場ではない。資力があれば改築できるのだが。
 おそらくこの牛小屋のオーナーもきっとそうなのだろう。おなじ「痛み」だろう。今の僕に出来ることは、平良に出たときに大きな施設を使わしてもらうことだが、こればっかりは・・・トホホ。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
気象台の木(続) アカギ

 この木もデカイ。手前の軽四と比べてみても、その根っこの大きさが分かる筈。先日のタブノキと同様、宮古島地方気象台の駐車場の角にある。タブノキを初めて見つけたときのスナップだ。
 アカギといっても何も赤いのではない。幹の色調が淡い茶系で、こうした色調を赤いというだけだろう。木の幹は経年変化で重厚な灰黒色を増してくるものだが、この木は違う。いっそう茶系色を増すように感じる。雨後の雨に濡れた幹は格別だ。「赤い」のだ。
 アカギ。この木はいろいろ騒がれている木だ。沖国大に米軍機が墜落炎上したときにも、その残骸を撤去するのに米軍は近くのアカギの巨木を切り倒した。大学とともに成長した木なのに。また首里の金城御嶽のアカギは国の天然記念物でもある。樹齢2〜300年の老巨木だ。また小笠原ではアカギは在来種を駆逐して問題になっている。お騒がせな奴だ。宮古でも御嶽や街路樹によくみられる。また大野山林では10000本以上の林帯がある。地下水涵養林として注目された樹種なのだろう。 これから宮古の森づくりを考える際に登場するその功罪、ことに数百年スパンではない永大の植物生態学上でいかなる扱いを受けるかとても気になる奴である。宮古の潜在植生で注目されているタブノキと問題児アカギが数十メートルの近くに並んで生えているのだから不思議だ。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
深き森のなかに

 東山魁夷画伯の『白馬の森』である。幻想な幽玄世界だ。枯死したような老木の木立のなかに、一頭の白馬がいる。
 この森は幻視の世界か。地はあるのか。剥き出しの根がみえる。木立は氷のように凍てついていてするどい。それでいてその枝の先には、これも幻視なのか、緑の葉塊が霞んでいる。
 そのなかに、一頭の白馬が佇んでいる。まだ成馬に達しない少年のような未熟さを体現している。えもいわれぬ“いのち”を画布に注いでいる。そこにいるのは、長い髭をはやした老人でもなければ成馬でもない。少年のような軽やかさ・無邪気さを漂わせている一頭の白馬である。世阿弥の『風姿花伝』に「童形なれば、何としたるも幽玄なり」とある。
 “いのち”とはかくあるものなのか。
 サムエル・ウルマンの詩の冒頭に、
 青春とは人生の或る時期を言うのではなく、心の様相を言うのだ、とある。感動の詩賦『青春』である。
 僕の心という森もかくありたいものだ。そして、この少年のような白馬をいつも抱いて生きたいものだ。
 実は、きょうは僕の誕生日。この静てつ幽玄な緊張感のある絵をみてつくづく感じ入っている。両親に生を授けてくれた感謝をそえて。
 子供のような無邪気さで、「おかあちゃん、うんでくれてありがとう」、心の中で亡き母に甘えている。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
大きな木 気象台のタブノキ

 カママ嶺の高台に宮古島地方気象台はある。本土にいる時台風情報でよく耳にした「ミヤコジマチホウキショウダイ、ハッピョウ」、の気象台である。気象台へ入るアプローチは巨木に誘(いざな)われている。施設前面に駐車場がありその前が斜面になっている。前は地方財務局のある合同庁舎で、横はハローワークである。
 このエリア一体は巨木が点在し建物がその間につくられたのではないかと思えるほどだ。その気象台の前面の斜面に、ひときわ目をひく巨木が生えている。今日はじめて知った。モクモクと生えている。大きな幹も見えないほどに葉っぱで覆われている。タブノキである。
 タブノキは古くから宮古に自生している常緑樹だ。その昔この木から線香をつくった。宮古でタブノキは「コーギー」と呼ばれ、漢字で「香木」と書く。独特の香りがあり、ひとによっては嫌うほどの強烈な香り(臭い)をもっている。こうした郷土樹木をシッカリと把握して緑化計画を進めたいものだ。敬愛する宮脇 昭先生は、こうした郷土樹木、つまりその土地の潜在自然植生をキチンと見い出し森づくりを各地・各国で実践してこられている植物生態学者である。同郷の大先輩でもあり、宮古の森づくりのシンポジュームに来春来島して下さることになった。嬉しい限りだ。
 先生のことばである。「本物とは、厳しい環境にも耐えて生き延びるもので、長持ちする」。いつも肝に銘じている。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
南の島から “メリー・クリスマス”

 世の中、特に都会ではギンギラギンのイルミネーションである。世はクリスマスであり、きょうはイヴ。我が家も“メリー・クリスマス”。しかし少し趣が違う。別にこれといってクリスマス・ツリーもない、いつもと変わらぬ一日である。
 2000年前に中近東の小国にひとりの大工がいた。30歳そこそこで磔(はりつけ)という極刑で殺された。その彼が2000年後にも伝えられている。これは奇跡だ。ひとつの「教え」として広まるが、為政者の道具にされたり、彼の名をかぶせた正義という暴挙をも繰り返された。
 僕がその人格に心ひかれたのは10代の後半だった。やがてプロテスタント教会で洗礼も受けた。毎週礼拝に加わりお祈りをして、賛美歌も聖歌隊で歌ったりした。それなりに気持ち良かった。しかし、どこかポッカリと穴のあいたような空虚感が続き、次第に足が遠のいていった。
 ある日、無教会の集まりに加えてもらった。お金をかけた教会堂でもカテドラルでもない。ありふれた農家風の人家であった。そこでは祈りだけ。もちろん教義もある。旧約はヘブライ語、新約はギリシャ語で、といった本格的なものだ。「教会」という形をもたない無教会派は、内村鑑三や新渡戸稲造といった怱怱たる先駆をもっていた。 その無教会派で、僕は聖霊のバブテスマをはじめて体感した。あの「ペンテコステ」である。「神」と人とが一体となる至福感、エクスターシアは実に甘美であった。その若い大工のなかにあった生命(いのち)に直接触れたくてイスラエルにも行った。ひたぶるに祈った。祈りに祈った。
 その後、霊的な世界に入っていったが今は「唯のひと」である。「〜教」とか「〜派」という体系化された組織体の中で生じる全体主義的な人間の関わりが苦手な僕は、今は「野」にあることを心から喜んで生きている。そしてさまざまな行為が「反応」からではなく「感応」で動くようになった。今はそれがとても気持ちいいのだ。
 あの大好きな大工の若者が磔(はりつけ)にされた十字架は僕には辛すぎる。シンボルとして屋根の上に飾ったり、首にぶら下げるなんて到底できない。好きになるとはそんなものだ。その彼が残してくれた愛のメッセージは今も心に響いている。今日はその彼が生まれたイヴの日、という。聖書歴史学者たちがいうように、誕生の日時についてはいろいろ疑問があるが、そんなことはどうでもいい。ケーキもツリーもない我が家だが、祈り心地で満ちている。本当に大切なものとその外側のものとはたいそう違うものだ。ケーキを口にはこぶ前に祈ろうではないか。「生きて在る」ことへの限りない感謝を。[写真はオリーヴ山からのエルサレム旧市街地の遠望]
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
冬至の落日
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 22日は冬至。夕日が長ーい影を地べたに落としている。愛犬ルカと久しぶりにイムギャーまで散歩する。仕事の都合で帰宅時間が遅いので、散歩はもっぱら居候くんにお願いしている。彼の名は武ちゃん、38歳。真ちゃんは数日前に出奔した。いやはや、それでいいのだ。「ようこそ」と「さようなら」。出会いがあり別れがある。生があり死がある。
 ひとは自分の人生を価値あるものにしたいと思う。ところでこの世の中で価値のないものがあるのだろうか。いや、そもそも価値そのものがあるのだろうか。決して虚無的に言っているのではない。野の花が教えてくれている。ひとは社会に貢献するとか、ひとの役に立つだとか、自他を評価し存在価値を見出そうとする。
 しかし、僕らは知らぬ間に生まれ、気が付けば存在のなかに放り出され、やがて消えていく。僕らは何の理由もなく生かされている。それが実相だろう。野の花を観よう。何のためにでもなく、何時の間にかそこにあり、そして消えていく。その実相を抗(あらが)わないで受け入れたとき、そのときから満ち満ちてくるものがある。なんというパラドックス(逆説)だろう。スズメのように嬉しくて踊り出したくなる。実が根を生やし天に向かって芽を出すように、淡々と喜びつつ日常を生きたいものだ。ただ、淡々と。自分の人生の価値などといった思考の世界ではなく、「生きとし生ける大宇宙のなかの日常」を淡々と生きたいものだ。そんなことを思う。イムギャーの落日を愛犬と並んで観ていると、ただありがたくて涙が頬をつたった。
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
アダンの実
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 アダンの実を拾った。アダン。沖縄の真っ白いコーラルの砂浜に、パイナップルのような実を付ける、あのアダンである。赤く色づいた実は、白い砂浜とコバルトブルーの海によく映える。その実がこのようなピースになって落果するとは知らなかった。スティック・パイナップルのように一つ一つが分かれるものと思っていたが、やられたぁ、という感じだ。
 アダンは海岸域の風衝植栽の典型的な樹種だ。落果した実が海に落ち波間を漂って生息地に漂着できるように、このようなブロック状になっているのだろう。ひとつひとつはとても軽い。表面は五角形か六角形の角錐状で、その頂部は古い筆先のようでもある。机の上に置いて眺めているが、観れば観るほど神秘な形をしている。
 アダン、で思い出すひとがいる。「田中 一村」である。有屋(奄美・名瀬市の地名)の変人と揶揄された少年のように澄んだ眼をしていた老人だったという。いろんなところでいろんな花が咲いている。
 伊是名の睦念さん、滋賀の榊 獏山さん、四国の坂田 真民先生(故人)。いろんな花が咲いている。「生きることは 自分の花を咲かせること 風雪に耐え寒暑に耐え だれのものでもない 自分の花をさかせよう」(真民)
| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
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