宮古の風便り

ある宮古島移住者の視点から
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『石ころのうた』
畑の中の石ころたち


連日、灼熱の太陽のもと、栽培予定地の畑の石ころを同僚たちと拾っている。

作物を植える前に再度耕運機やトラクターをいれて耕すおり、石ころがあるとそれらの歯が痛み、折れてしまったりするからだ。


上の写真は、拾い集めた石ころたち。

すべてが手作業で、うつむいての作業はときにつらい時がある。

午後の畑に顔を近づけての作業は、思った以上に耕地からの反射熱が強烈で、まるで焼けたフライパンに顔を近づけているよう。

昼休みに汗のしたたるタオル・Tシャツ・仕事着を取り替えても、終業時にはもう一度取り換えなければならない。

うつむいて黙々と拾う石ころは、ときには一抱えもある石があり、骨折した背骨をかばいながら、ただ黙々と拾っている。



そんな石ころを集めながら、想うのは大好きな三浦綾子の『石ころのうた』である。

戦争時代を回顧した自伝のこの書に、次のような文章がある。


石ころは踏まれ、蹴られて何の顧みられるところもない。

如何に一心に生きているつもりでも、結局は路傍の石に過ぎない。

わたしは、自分が蹴られて、溝の中に落ちた小さな石だと思った。

石ころのわたしの青春は、何と愚かで軽薄で、しかし一途であったことだろう。

わたしは、今も石ころであることに変わりはない。

が、幸いわたしは、聖書を知った。そして聖書の中の次の言葉を知った。


「このともがら黙さば石叫ぶべし」(ルカ伝 19章40節)


弟子の口を封じようとした人々に、キリストの答えた言葉である。

故に、わたしはこの言葉を記した。

叫ぶほどではなくても、どんなつまらない石ころもまた、

歌うものであることを人々に知ってほしいが故に。

そして、すべての石ころをおしつぶすブルドーザーのような権力の非情さを知って欲しいが故に。




汗のしたたる顔をあげて、晴天の空をみつめてつぶやいた。

このうつくしい島々に、あの不格好なオスプレイなんか不似合いだ、      と。

















| 竹井 章 | 沖縄/宮古島 | 00:00 | comments(0) | - |
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